Special Interview
特別インタビュー
<患者様編>
02
2017/09/27 掲載
奈良県奈良市 野田様インタビュー
まず相手を信頼して、nice buddy (信頼できる相棒)になれるかどうかが大切と考えているんです。
野田淳子さんは奈良県肢体不自由児者父母連合会や、その他多数の施設の理事職につかれ、奈良県の福祉を取り巻く環境の発展の為精力的に業務に取り組んでこられました。脳卒中で倒れられたのは3年前の春でした。手足の麻痺の影響で座る事も難しい状態であったそうです。「リハビリを頑張ってまた歩けるようになる」その気持ちを忘れる事無く、この3年間一日も休まずにリハビリに取りくんでこられました。そして脳卒中を発症してから3年目の春、自らの足で一歩を踏み出す事ができるようになりました。野田さんとご家族様にこの3年間のリハビリを振り返りインタビューをさせていただきましたのでご覧下さい。
脳卒中を発症された時の事を覚えておられますか?
野田:覚えていますよ。その日は父母の会のお母様が来られ、おしゃべりしてお送りしたときでした、家の前で急にフラフラして意識がなくなってしまったんです。声も出せないし、主人も呼べない。「これは大変や!」と思って、手すりになんとか寄りかかって、玄関まで行こうとしたんですね。でも玄関のほう見ても誰も出てこない、その場で倒れ込んでしまいました。それから1時間後に娘が帰ってきて、救急車呼んでくれました。
家族:救急車を呼びましたけど、そのときは意識もあったし会話も出来ていたので「たいした事はないかも」と思ってたんですね。実際、診察してくださった医師からも「3週間くらいの入院とリハビリで回復するだろう」と言われ安心していました。その日は入院となり、翌日病院に行きました。そこで医師から昨日と母の状況が変わっていて「以前から飲まれているワーファリンという薬の影響で、血が止まりにくくなっている。このまま出血が続くと脳幹にまで達し、影響がでてしまう。緊急手術の必要があります。」と告げられました。
その日のうちに手術となりました。術後は目が3日間位は目が開かず、なかなか意識が戻って来ませんでした。やっと目が開き手術の後のリハビリは体を動かす以前のところから始まったんです。
3週間後回復期病院へ転院してのリハビリが始まったわけですね。そのときのお気持ちは?
野田:リハビリの先生に言われた事を一生懸命やるだけでしたね。担当のリハビリの先生は最初に私を見た時、「どうやってリハビリしていけばいいのか…」って相当悩んだって言ってたらしいです。それだけ私は重症やったってことですね。
家族:気管切開しておりましたし、半側空間無視の影響で身体は斜め向いて、左の方は向けないし、車いすにもなかなか座れないしで病院の中でも最重度だったと思います。
野田:回復期でのリハビリ始まったけど、最初はベッドから起きるのも一苦労でしたね。寝返りもうてない状態でした。立ったりとか歩いたりするリハビリはまだまだ出来なかったんです。初歩の初歩のリハビリで精一杯でした。その病院には若い人達も入院してリハビリしてたということもあり、その人達の励ましが嬉しかった。若い人と一緒にリハビリしてるって言うのが楽しかったですね。
家族:また担当のリハビリの先生が、上手く気分をのせてくれてました。
その頃立つ練習が始まっていたんですか?
家族:立つなんてまだまだ後の話しですよ、その頃はベッドに座るとか、ベッドで腰を挙げたりとか、そんな事をしてましたね。
(初期のリハビリ、車いすに座るのがやっと)
毎日リハビリで、「もう止めたい」と思った事はなかったんですか?
野田:一回も無いです!一度としてリハビリを休もうと思った事はありません。前向きに頑張っていたんです。
その原動力は何だったんですか?
野田:私には障害を抱えた息子がいました。私はその子にリハビリをして歩けるようにした経験があります。だから、自分が良くなるにはリハビリしかない!って強く思っていました。我が子は困難を乗り越えたんです「私だって乗り越えられる。」と思っていました。
(回復期リハビリ病院で)
退院後の事を聞かせてください、退院が決まったとき退院後の生活で重視されたのはどんな事ですか?
家族:リハビリですね、入院中に行っていた量や質をどうやったら保てるかを重視したかったので、リハビリを中心とした退院後の生活プログラムをしっかり組んでくれるケアマネさんを探しました。ケアマネさんに色々相談しながらヘルパー、訪問リハビリ、デイサービス、色んな職種を集めて最強のチームを作っていただきました。入院中から全員に集まってもらい、退院後の方向性の確認と実行プランを考えてもらいました。
(退院を前にして)
娘さんは退院を目の前にして、不安は無かったですか?
娘:不安というか、退院してからがスタートだと思いました。これは仕事と同じで行程をしっかり立てないとと思いました。
脳卒中や怪我で入院されている方の中には、入院中のリハビリが全てで、退院してからは身体能力の回復があまり進まないだろうと思われる方もいらっしゃいます。
家族:そんな事は無いと思います。リハビリに終わりはありません。これから先の人生を考えてリハビリ行程と環境を整える必要があると思います。入院中に実生活までできる方ばかりではありませんから。私の場合、母はこれから先も良くなるという気持ちをもってリハビリ行程を考えましたね。
それは良い事ですね、入院中から退院後の事を考えて準備する事はとても大切です。そのチームの中に「KiyoリハビリPROS」と「きよ女性クリニック 訪問リハビリ」を選んで頂いたという事ですね。
家族:そのときはKiyoリハビリPROSはまだオープン前で、訪問リハビリは駆け出しの頃でしたよね。どのくらいリハビリをしてくれるか未知数でしたが、きよ女性クリニックとの提携施設という事で見学させていただき、信頼して選びました。
「KiyoリハビリPROS」と「きよ女性クリニック 訪問リハビリ」での担当理学療法士とのリハビリはどんな思い出がありますか?
野田:いつも楽しかったですよ、待ちわびてました。まず担当に先生の事を好きになる事から始めました。何が印象というより、まず相手を信頼しないといけません。そうじゃなければリハビリになりませんよね。
(自宅で)
家族:母の場合はまず相手を信頼して、nice buddy (信頼できる相棒)になれるかどうかが大切と考えているんです。
リハビリでくじけそうなときKiyoリハビリPROS、きよ女性クリニックの担当理学療法士は支えてくれましたか?
野田:リハビリでくじける事はあんまりありませんでした、でも落ち込みそうな時は支えてくれましたよ。私は担当の先生を信頼しきっています。そして共に目標を目指しました。
相手を信じる事、確かにそれは大きな力を生みますよね。野田さんは昔から誰かと力を会わせる場面では相手を信じる事を大切にしてこられたんですか?
野田:それが一番大切です。信頼しきっているんです
野田さんにとって理学療法士とはどんな存在ですか?
野田:ベストパートーナー!私のリハビリには理学療法士さんの力が必要です。
まず担当の理学療法士を好きになる事が大切なんです。何もかも、それからですよ。
(KiyoリハビリPROSにて、左手にはニューロソリュージョン)
どんな理学療法士が担当になっても好きになれますか?
野田:入院してから今まで私が出会った理学療法士はみんな一生懸命やってくれてた人ばかり。私は、みんな大好きです。
今ご家族に対してどんなお気持ちですか?
野田:今は、主人と娘に支えられて一生懸命やっていこうと思っています。娘は私の宝物です!
今はどんな夢を持っていますか?
野田:一日も早く、杖で1人で歩けるようになりたいですね。家事だってしたい、そしたらトイレも1人で行けるようになりますから。
野田さんにとって、リハビリは希望につながっていますか?
野田:繋げたい!そう思っています。
家族:世の中にはたくさんの介護施設がありますよね、その中でも私たち家族はリハビリを中心に生活設計できるような場所を探してたんです。弟が障害を抱えていたという事も有り、昔からリハビリの重要性を熟知していました。まだ「リハビリ」という言葉が無かった時代、「訓練」と呼ばれていた時代からリハビリの考え方に触れてきました。そういった経験があったから、母の退院後のリハビリに対して迅速に準備出来たのだと思います。
(緑あふれる森での一枚)
だいたい40年程前ですか。ご家族の目から見て、その時代に比べ、現代のリハビリ業界は変わってきてると思いますか?
家族:全然違いますね。まず裾野が大きく広がってます、様々な疾患に対してリハビリの技術や考え方が多様化していると感じます。当時はまずリハビリを受けられる場所が奈良には無かったです、弟は九州大学までリハビリを受けに通っていました。当時の小児まひのリハビリは身体をベルトで固定したり矯正する、痛いリハビリが主だったんですね。九州大学ではそういったリハビリではなく、緊張や弛緩を上手に行いながら動く練習や、心理学を利用したリハビリなど現代のリハビリに近い最先端のリハビリが行われていたんです。
野田:先生方に来てもらう旅費集めだけでも大変でした、多くの方の協力で成り立っていましたね。九州大学に通ってるうちに、養護学校の先生達をしっかりリハビリできるようになればという事に気づきました。だって、養護学校の先生達が一番子供達と接触時間長いでしょ。九州大学を中心として、養成プログラムをつくりました。その時の経験からリハビリに対する正しい理解や、リハビリを提供する仕組みづくりの重要性を実感してきました。これからは一人一人に合ったリハビリプログラム、サービスが受けられるような仕組みが必要だと感じています。