Special Interview
特別インタビュー
<患者様編>
01
2020/12/05 掲載
甲斐様インタビュー
家族と仲間と楽しい時間を過ごしたい、それが私のリハビリの原動力。
「旅行の計画を立てている真っ最中に脳出血に・・」
Kiyo:今回はインタビューを受け入れてくださりありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします。
甲斐:よろしくお願いいたします。
Kiyo:まずは甲斐さんが脳出血を発症する前の話をお聞かせください。発症前は毎日どんなふうに過ごされていましたか?
甲斐:興味のあることはとにかくやってみる、楽しいことが大好き。基本的には遊び人でした。とにかく好きなことをやってましたよ。趣味もたくさんやってたんですよ、バイオリンやギター等の楽器演奏、DIYとかね。あと仲間とゴルフやバイクでツーリングするのも大好きでした。
発症前に撮られた写真。どの写真も非常にアクティブに趣味を楽しまれている様子が分かる。
Kiyo:発症した時のことを覚えていますか?
甲斐:覚えています、2017年の5月のさわやかな日でした。故郷の九州で同窓会の予定があってね、思い切ってバイクで帰ろうか!と旅行の計画をワクワクしながら立てていました。楽しみな気持ちが高まりに高まった時に、「あれっ、足が動きにくい・・」と思ったらもつれてこけていました。脳出血でした。息子がすぐに救急車を呼んでくれて搬送されました。
Kiyo:脳出血を起こしたとわかりましたか?
甲斐:いや、最初はこけたくらいにしか感じなくて何てことないと思っていまた。でも手も足も動かない状況に、救急車が病院に着く頃には「大変なことになったのでは・・」と事の大きさに気づき始めました。
「回復期病院への入院」
甲斐:入院後は血圧が高く、すぐに手術ができませんでした。結局、入院2日後に血腫除去術をうけました。この手術の後からが大変でした。絶え間なく襲ってくる腕の痛みとの戦いです。まるで左腕が引きちぎられるような痛さが手術直後から続きました。そのうち左の股関節まで痛くなり、「この痛みを何とかして欲しい!!」そんな悶絶と絶叫の毎日でした。
Kiyo:大変苦しい時期ですね、奥様も心配なさったのではないですか?
奥様:痛みで苦しんでいる姿を見るのは辛かったです。なんとか前に進むために、とにかく1日も早くリハビリを開始してほしいと思っていました。とにかく回復期病院に移りたかったのですが、なかなかそういった話もなかったので自分から動いていきました。この時期痛感したのは、「待っていては事態が何も動かないこと」です。周りの協力もあり回復期リハビリテーション病院の情報を集め、候補となる病院を絞りました。そして回復期リハビリテーション病院に転院することになりました。
「歩く練習が始まった。とにかく早く歩けるようになりたい」
Kiyo:回復期リハビリテーション病院に移ってからリハビリが始まったということでしたが、この時期をどう受け止め、過ごしておられましたか?
甲斐:とにかく早く歩けるようになりたい、その一心でした。麻痺のある腕と股関節の痛みは継続していました。ちょっと動かすだけでも痛みが強くでてしまい、毎日痛みとの戦いでした。その時の私を支えてくれたのは、「早く遊び人の状態に戻りたい、仲間たちと遊びに行きたい」という気持ちでした。実際に遊び仲間もたくさんお見舞いに来てくれて励ましてくれました。
Kiyo:リハビリの進捗はどうでしたか?
甲斐:リハビリ5〜6ヶ月たった時に、装具と杖を使って歩けるようになりました。ただ、股関節が痛くてあまり体重がかけられませんでした。まだ実用的ではありませんでしたが、このまま頑張ればなんとかなりそうだという希望を抱いていました。その頃には早いもので退院の時期が近づいてきていました。
「退院後のリハビリプランを作成」
甲斐:退院前の気持ちとしては、退院後に手のリハビリがどうなるかが心配でした。というのも、手の麻痺の方の回復が脚に比べるとかなり遅く、望むレベルには程遠かったのです。自分は長年楽器の演奏や、DIYも楽しんでいたのでもっと手が動くようになってほしいと切実に願っていました。この頃にはケアマネさんとの退院後のリハビリプラン作りが進み、以下の表のような計画ができました。
訪問リハビリ |
週2回 |
KiyoリハビリPROS(リハビリ特化型デイサービス) |
週2回 |
1日型デイサービス(お風呂付き) |
週1回 |
表を見てもらったらわかりますが、専門家である作業療法士の訪問リハビリに空きがなかったので、手の専門リハビリが予定の中に組み込めなかった事が心配ではありましたが、リハビリの時間を確保した充実した生活プランを立ててもらいました。その後ボトックス治療や針治療の追加など若干のプラン変更を行いながら自宅でのリハビリが進んでいきました。
Kiyo:この時期、ボトックス治療や針治療が追加になり手に対してのリハビリが大きく進んだようですね。
甲斐:そうですね、そしてその頃きよ女性クリニックに作業療法士の訪問リハの枠が空いていると聞いてお願いしました。これが作業療法士の藪田先生との出会いです。藪田先生と意気投合し手のリハビリを進めてもらいました。藪田先生には多くのことを教えてもらいましたね。その後足のリハビリもきよ女性クリニックで統一してもらいましいた。その時に出会ったのが大嶋先生でした。藪田先生も大嶋先生も非常に親身に考えてくれ、和気藹々と楽しくリハビリが行えています。お二人にしっかりリハビリを行っていただき、KiyoリハビリPROSでのトレーニングを重ねた結果、歩行がだいぶ上達しかなり自信がつきました。
訪問リハビリ作業療法士の藪田さんとの屋外の歩行練習の一コマ。
「見えてきた、リハビリの成果」
Kiyo:退院後リハビリを行ってなにか気持ちの上で変化はありましたか?
甲斐:KiyoリハビリPROSのスタッフの皆さんや、訪問リハビリの先生達が「やる気」にさせてくれました。私と家族の相談に親身になってくれ、Kiyoグループのサポート体制に助けられました。
KiyoリハビリPROSでのリハビリの一場面。真剣な表情で熱心にトレーニングに取り組んでいる。
Kiyo:どんな時に「やる気」のスイッチが入りましたか?
自分一人では乗り越えられない時でも、いろんな声かけをしてもらえると頑張りきれる経験をたくさんさせてもらいました。「ここまでできるのか」と自分さえも知らなかった可能性に気づかせてもらいました。KiyoリハビリPROSや訪問リハビリでそういった経験を重ねることで、心に火が灯り様々なトレーニングを最後までやりきれるようになっていったように思います。
訪問リハビリ理学療法士の大嶋さんとのリハビリの一コマ。
奥様:私の目から見ても、身体の動きはかなり上達しています。家の中でのちょっとした歩きもスムーズになっています、駐車場から家に歩いて入るのもかなり楽になりました。外出が気楽にできるようになってきたので私も嬉しいです。あと、万が一床に座り込んでしまった時の対処の仕方も習得できていますので、家の中での生活の心配がずいぶんと減りましたね。柵を使わない立ち方や座り方も教えてもらったので、おかげで介護ベッドも返却する事ができました。
「家族と仲間が心の支え」
Kiyo:甲斐さんがリハビリに取り組む姿勢はすごく前向きに感じます。その前向きな姿勢はどこからきているのでしょうか?やる気を常に心に灯し続けるために、甲斐さんが考えていることはありますか?
甲斐:繰り返しになりますが、「仲間たちと遊びたい」という気持ちが原動力になっています。その気持ちがあれば、様々なことにチャレンジしようと思えます。今はコロナでなかなか会えないですが、最近までは一緒に食事に行ったり仲間との時間がとても支えになっています。今はガラケーからスマホに変えて、ラインを使ってやりとりしていますよ。
甲斐様は音楽を通じたご友人もたくさんおられる。
Kiyo:甲斐さんにとって仲間の存在が大きいのですね。
甲斐:そうですね。あと、きよ女性クリニックの先生から言われたのですが「人生100年時代、これから先の人生はまだ長い。あなたはどう生きたいか?あなたが世の中に働きかける場面がまだまだある」その答えも探しています。なんとか歩けるようになってきたし、この先どこまでいけるか分かりませんが、できるだけ頑張ろうと思っています。
Kiyo:この病気になったことで、甲斐さんの人生観や価値観が変わった部分はありますか?
甲斐:自分の身体は自分で守らないといけないということに気づきました。あとは側にいる奥さんを大切にすると言うことです。その二つを大切に思っています。
Kiyo:最後に奥様に質問です。奥様から見てリハビリを頑張っている甲斐さんをどう思っていますか?
奥様:意外とがんばっているなと(笑)ここまで頑張れるとは思っていなかったです。大変なことの方が多いのに、いつも遊び心を忘れずに前向きに頑張っていてすごいなと思います。お互い元気で長生きしたいですね。今二人で過ごす時間がすごく増えて、話す時間をたくさん持つ事ができています。なんでも話せる関係になっていると思います。夫婦としての絆はさらに深まったと思いますよ。大変なこともあるけど、私もリハビリの手伝いをする事が生きがいになっています。
Kiyo:甲斐様と奥様が一生懸命取り組まれたリハビリの日々が、二人の絆を再確認する時間でもあったのかもしれませんね。甲斐様、これからもKiyoリハビリPROS、きよ女性クリニックともにしっかりサポートしていきますね。本日はどうもありがとうございました。